青木文鷹氏の回答をまとめました。
まとめると
・お茶会組織ごとに「理念を共有するかどうか」は違ってかまわない。
・お茶会組織ごとに「理念」は違ってかまわない。
・「お茶会連合」と「青藍会」はイコールではない。
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回答するのはいいのですが…正直回答に困る内容ですなぁ。ウチは「手法」について論じただけで、そこに理念を入れるかどうかは参加者次第なので。
「理念」を共有出来るなら、茶会運動でなくとも連携出来ますし、更に強い理念の共有が出来れば政党として動けばいいわけで…茶会運動をするのか、茶会運動の手法を利用して現状を打破するのかで話は異なります。なので、手法を論じている私としては、回答しにくいです。
たとえば『「支出削減」という「生活実利」は、「小さな政府」という「理念」に裏づけされているということです』と言う点一つとっても、「参加した人達は実利が目的」であり、解説者等がそれを「小さな政府」と纏めただけで、参加者の実情は同一ではありません。
そもそも「小さな政府」という言葉すら知らない人達も多数参加しており、まさに実利先行の運動だったといえます。同時進行で情報集めていた立場から言えば「結果的にそう見えるだけ」です。もちろん中核になった人達は「小さな政府実現の手法として」運動してますが。
なので、質問への答えは「茶会運動を日本で再現するための回答」が求められているのか、「茶会運動の手法を利用する方法についての回答」なのかで全く異なります。前者に関しては活動を行う主体によって異なりますので「私にとっての回答」しかできません。
「手法」については、茶会運動もデモも「テクニック」や「ノウハウ」ですので、これまでの回答でご理解頂けるかと思います。ただこれまで手法について出来るだけ公で語らなかったのは「手法に善悪も理念もないので、ネタばらしば敵へのアドバンテージが減る」為です。
(出典: lovejapan.asia)
昨日今日と、米国版のお茶会党運動(ティーパーティー・ムーブメント)に関するいろいろな情報を分析して、気が付いたことがあります。
それは、米国版の「運動」は「連邦政府の支出削減」という「実利」でもって、ノンポリティクスな人たちに訴求し、急速に支持を拡大していったことは確かなのですが、その「支出削減」という「生活実利」は、「小さな政府」という「理念」に裏づけされているということです。
何がいいたいかと言うと、「運動」に引き込むために最初は「実利」で訴求したとしても、最終的には「理念」に対する共感形成がきちんと図られていることが、組織のコア・イシューとして、機能しているのではないかということです。
日本に於いても、青木文鷹氏の提唱している戦略のまま、「民主党ぷんすか」という、「民主党に対するアンチテーゼ」で、ノンポリティクス層に訴求したとしても、「運動」としての組織体を形成するには、「理念」によるコア・イシューが結局は必要になるのではないでしょうか。
例えば、いわば「グローバル・リバタリアニズム」というような、TPPの理念的側面に対する、アンチテーゼとして、日本版「コミュニタリアニズム」的な「理念」がどうしても必要になるのではないかと。
リバタリアニズムというのは市場原理主義、自由原理主義とでもいうべきものですが、それに対する反感・反発から、保守・愛国の文脈に乗ってくる「ノンポリティクスな人たち」はかなり多いような気がします。
今は、日本版お茶会党運動の参加者は経済クラスタ、軍事クラスタが多くて、政治哲学クラスタは少なく、こういう分析はなかなかないのではないでしょうか。
この件についても、青木氏( @FumiHawk )に回答を求めます。
(出典: lovejapan.asia)
以前、私の主宰している政治哲学タグで、「ネット保守派」を含む、主に政治系ポストをしている人、政治的な話題が好きな人の、フォロワーや、身の回りの人に対する影響力を調べたことがあります。
その結果は「ネット保守派」自身ですら、他の人の発言やポストに影響を受けることはほとんどない、というアンケート結果でした。
「影響」というのは、政治的な価値観が変わって、例えば投票において民主党から自民党へと、支持対象を変えるという行為に至ることです。
これは、Twitterを含むSNSにおける政治系ポストをしている人たちというのは、あるいは政治的な話題が好きな人というのは、価値観を同じ くする人同士で固まっていて、部外者の、特に「ノンポリティクスな人たち」には、そういう人たちの発言はあまり「影響」は無い、ということを示していま す。
そもそも、SNSにおける人間関係というのは、自分と同じ価値観を有する人同士で固まるものであって、しかも簡単に切断・絶縁することができるものですから、これは仕方ありません。
特に政治的価値観を異にするポストは、「ノンポリティクスな人たち」にはあまり、受けません。
以前の記事でもポストしましたが、「ノンポリティクスな人たち」にはそもそも政治というものは、パトスを高めていく対象ではなく、生活の手段の一つでしかありません。
ここをよく弁えないと、政治ポストばかりしている人は「ああ、ネトウヨの人だよね。別に悪いとは思わないけど…。好きでやっているんでしょ( ^ω^)・・・」というフィーリングでスルーされてしまいます。
政治的な話題は、話す相手の価値観によくよく寄りそって発言しなければ、共感形成は不可能です。(了)
(出典: lovejapan.asia)
タイトルの意味は「ネット保守層の愛国心は幕末以降の明治憲法下の愛国心と連続しているか」です。
最初は、私は「ネット保守層の愛国心は明治憲法下の一般国民の愛国心と連続していない。彼らが目指しているものはある意味、空想的保守主義である」と、批判的な観点から論じようとしていました。
しかし、国井久一氏( @kyuuiti )とある件でリアルに会って、話を聞くうちに、「この道はいつか来た道」という考えを懐かざるを得ませんでした。
何が「いつか来た道」なのかというと、昨今の自認的ネット保守派の大部分も、そして明治維新を成し遂げた志士達も、ともに善くも悪しくも「理想主義に燃える人たち」であることにおいては共通している、ということです。
ただし、維新志士と、「ネット保守派」の大部分との決定的な違いがあります。それは「どのような戦略・戦術を以ってしたら、長期的に見て理想を実 現し得るのか」というリアリスト的な感覚です。なぜこうなったかと言うと話は単純で、「ネット上の活動が主に、同質者間のパトスの昂ぶりを目的として行わ れてきた」ということによるものなのです。
言い換えるならば、善くも悪しくも、「ネット保守派」は単純に「自分のパトスの昂ぶり」しか、結果として得られていない人が大多数なのです。そして、その延長上にあるのが、フジデモのような「要求の通らない、子供の喧嘩」なのです。
私が思うに、時に、人は大義・理想のために現実を忘れて生きなければならないときがあります。一例としては尖閣ビデオを流出させた海保職員のようなケースです。
しかし、「ネット保守派」の大部分が「自分のパトスの維持向上」という結果しか得られていないのは、幕末に於いて、長州藩が独りで「尊皇攘夷」を実現しようとして、列強との戦争も辞さなかったことと比べても、なお薄い影響力しかありません。
理念・理想というのは、時に有効であるし、時に有害である…現実的な観点に立つと、私はそう考えざるを得ません。
人は理想・理念に従う部分と、現実に従う部分とあります。「ネット保守派」は前者の部分が強い人達なのでしょう。そういう意味で「いつか来た道」なのだと考えています。
まとめると「ネット保守派」の愛国心は、直ちには過去との連続性が無かったとしても、維新志士の「要求を通す行動ができていなかった」初期の行動とはよく似ているということです。
異論反論・お待ちしています。(了)
(出典: lovejapan.asia)
独りでなんでもやろうとすると必ずどこかで限界が出てくるものです。
一例として。ツイッターのネット保守界隈では名の知れたある女性がいました。
彼女は毎日数十人ないし百数十人の単位でフォロワー数を増やして、ノンポリティクスな層への「啓蒙」を行っていました。
それだけではなく、保守系某SNSでもコミュニティを主宰し、メンバーの意識を鼓舞するため、定期的に各個人にメッセージを送信するなどしていました。
リアルに於いても、ポスティング活動を行うなど、彼女の情熱は傍からみていてもとてもすさまじいものがありました。
しかし、ある時期を境に、彼女はSNSを退会してしまいます。
彼女はツイッターのアカウント名を変更して、現在も周知活動を続けていますが、ひところに比べると、ノンポリティクスな層の人たちに公式RTされる頻度は目に見えて減りました。
個人の力でなんでもやろうとすると必ずどこかで限界が出てきます。彼女はその一例だと思います。
現時点で、まず、必要なのは個人の情熱を互いに鼓舞する場としての「お茶会」、個人の情熱をひたすら隠し、経済の話をとおして身の回りの人に「民主党ぷんすか」という共感形成を図る「お茶会」、この二つだと私は考えます。
民主党が政権運用の立場にあることが、どんなに「売国的」であるかは、保守・国益派を自認する人なら、よくわかると思いますが、ノンポリティクス な人にはなかなかそれが理解されません。私もかつてはフォロワーを増やしては周知することをやっていましたが、あまり効果は上がりませんでした。
今回、青木文鷹氏の提唱する「お茶会」運動の内容を聞いて思ったのは、
・リアルな組織をつくることによる、個人にかかる負荷の軽減
・理念による議論的説得から、経済の話題による共感形成的説得
は「保守活動」の実際として非常にやりやすい、ということです。
特に、身近な人たちから煙たがられてきた経験のある保守・国益派にとって、理念による議論的な説得がうまくいっていない、という現実は思い当たるフシがあるものと思います。
今、この運動に必要なのは、保守・愛国の情熱を胸に秘めつつ活動のできる、そういういわば大人の保守派・国益派です。私自身も、母に明日、話をしてみる予定です。
(了)
(出典: lovejapan.asia)
ネット上の集団というのは、おのおの好き勝手にモノを言って、同じ意見や趣向を持ちあわせることができる人同士で、固まっていく傾向があります。
その集団内では同じような話題に、同じように反応して、感情を高めていく、そのことに重きが置かれています。そして、その集団から外れる発言・ポストは、完全にスルーされてしまい、「異端」とされていく傾向があります。
つまり、「楽しい」はずのゆるやかな連合体が、いつのまにか「正しい」ということを指向する統合体になってかえって小さいクラスタに分裂していってしまうのです。
では、その統合体から少し距離をおいて、「楽しさ」を取り返すにはどうしたら良いか。
そのカギは「リアルな意識共有の場を自ら作っていくこと」にあります。
ずばり、ネット上の住人同士、顔合わせのお茶会・食事会を持つことです。
私も、先日、マイミクの国井久一氏と、顔合わせの機会を持ちました。
一応の目的は、青木文鷹氏の話を知ることでしたが、それよりも「ネット保守派」同士で、同じように「ネットだけでは日本を変えるには時間がかかりすぎる」と悩み、
「リアルに身の回りの人たちを巻き込んで、日本をどうにかしなければならない」という志の確認ができたこと、とても強烈な体験でした。
それまでは、「政治的な話題で、リアルに身の回りの人たちとの意識共有を図る」ことに二の足を踏んでいた私にとって、「リアルで話せる友人がいる」ということは、とても大きく勇気づけられる経験となりました。
また、今までは漠然としていた最終目標が「お茶会組織を作っていく」という中間目標によって、明確になり、「政治的なネット活動の楽しさ」も取り返すことができました。
まとめると、ネット上のポストで意識共有を図るだけではなく、リアルな共感形成の場を持つこと、これが、「正しい」から「楽しい」へ脱皮するカギとなるのです。独りネットの情報を拡散しているだけでは、孤独ではかない戦いです。
(出典: lovejapan.asia)
皇室の男系・女系の問題というような「理念の共有」は同じ保守派の中でも、非常に難しい。いわんや気分だけで「女系天皇?別にいいんじゃないのか お?開か れた皇室だん( ^ω^)」と言ってしまうようなノンポリの共感を得るためには、こういう「理念」に関わる説得工作は非常に難しいのです。
ノンポリの共感を得るためには、では、どうしたら良いか。それは「自らの命を賭けてまで、自分の生活の時間を犠牲にしてまで、政治活動にのめり込むようなことはしない」という、保守派にしたらモニョってしまうような彼らの性質をよく理解する必要があります。
つまり、ノンポリは「自分の生活を犠牲にしてまで、国家・政治の価値の実現のために尽くす」ことはありえない、ということを保守派の我々はよく、理解してあげる必要があります。
「政治のために、自分の生命・生活を犠牲にしたくないノンポリ」←ココ重要。
逆に言えば、「自分の生活が犠牲になる」ことがわかると、ノンポリ層の人たちは徹底的に反発します。つまり、言い方を変えれば、「民主党の政策は自分の生活を犠牲にして成り立っている」ということがわかれば、彼らは、いともたやすく動くのです。
話を戻すと、「理念のために」ときには生命・財産を投げ出してまで動く覚悟のある我々保守派にとって、ノンポリの姿勢というのは、非常にもどかしいかもしれませんが、逆に言えば、そこが付け込むポイントなのです。
そこで登場するのが近々のビッグ・イシューとしては「TPP」なんです。ネット弁慶でいると、なかなか本を読む時間もないかも知れませんが、「TPP」についてはなんとなく、これはノンポリの共感形成に使えそうだ、ということが分かる人は多いのではないでしょうか。
実は私も、「TPP」については、農業の分野にとって死活問題である、ということはなんとなく雰囲気的に分かっていても、「自分の生活とどう関わりがあるか」については、正直、よくわかりませんでした。
例えば、TPPを締結してしまうと、どんなに小規模な地方自治体でも、ある一定の金額を越える、公共事業の入札条件自体を「英語の技術文書として」Webで公開しなければなりません。翻訳を依頼するだけでも数十万円の費用がかかるのです。
こういう話は非常に共感形成には役に立つのです。「オレらの生活を犠牲にする民主党の政策ぷんすか」というね。
まとめると、ノンポリの人の共感形成のためには「自分の生活を犠牲にするとなると徹底的に反発する」という彼らの性質を我々保守派・国益派がよく理解し、経済政策のビッグ・イシューで、訴求することが効果的である、ということです。
(出典: lovejapan.asia)
ネットでも、リアルでもそうだと思うけど人は「オレの話」を聞きたいんじゃない。「自分にとってどんな価値があるのか」を聞きたいんだ。だから「オレの話」をしたいのなら、フォロー・被フォローの関係で勝手にやっていれば良い。
「これは、あなたには、こういう価値・反価値がありますよ」ということも、身近で具体的なケースを通して話をしなければ、人の共感は得られない。そう、ある意味、理性ではなくフィーリングに訴えかけるということですね。
政治において、力を持っているのは、目に見える「快楽」「苦痛」であって、それが大多数の無党派層を動かして世論を形成している。大多数の無党派は利害関係がイメージできない、いわば「食えない理念」には興味を示さない。
何が言いたいかということですね、
理念の善悪は耳には心地よい、しかしそれよりも生活に直結する利害、メリット・デメリットを話して、共感を形成しなければ、人は動かない、ということですね。
まず、運動手法として、精神論ではなく、生活に直結する「痛み」を話すことで、共感を得るということですね。
具体的には・・・
TPPは、これこれこんな理由、こんな結果を生活にもたらすから、良くない、というような話です。
保守を自称しているネット弁慶の多くは、「売国民主党が進めているから、反対する」というようなことしか頭にないと思います。
たとえば、地方の本当に小さい村・町でも、400万円以上の公共工事は、英語でWebに入札条件を公開しなければならなくなります。これは極端な例ですが、そんなことをやられたら、公開するだけで、100万円以上のドキュメント作成費用がかかるのですよ。
要は、経済的なイシューでないと、一般無関心層を取り込むことはできない、ということですね。
「靖国」がどうとかこうとか、「大東亜戦争」がどうとかこうとか、そういうことは、一般無関心層には共感できる部分ではないということです。
一般無関心層、または無党派層を取り込まないと、政治運動は成功しない。
無党派層の取り込みには、経済的なイシューが効果的、ということです。
お茶会の威力を政治家にわからせて、政治的影響力を行使するには、どうしても、「名簿」「組織参加費」という泥臭いですが、確実に政治家に訴求することのできる、要素が必要になります。
運動手法として、無党派層の取り込みを図るには、どうしても「一割・二割」のネット保守層ではなくて、大多数の無党派層に、共感を得なければなりません。
「今までの価値観や概念を全否定すること。そして理解を得る事。これが私の勝利です。その勝利は、私だけの勝利でなく国民の勝利であり、真の自由を勝ち取ったということであり、また真の民主主義の価値観が日本社会に出て来たという事だと思っています。
だからか、今の体制下・価値観の中で影響を発する考えには違和感を覚えてしまいます。」
ずばり申し上げると、上記のような考え方は、反・理念という、理念派でしかありません。果たして一般無党派層に訴求できるかというと、それは疑問ですね。
悪く言うと、「オレの話を聞けー♪」と言っているようにしか聞こえません。それが、理念派の特徴です。
大人の喧嘩をするには、法律と、常識が武器です。
制度に敵対しても何の意味もありません。「ああ、あの人は“反動的”なんだな」とか、レッテル貼りをされるだけです。
例えば「民主主義というのは国民の責務なんですー!」と訴えかける意味はあるのでしょうか。票を獲得できるという意味において。リベラル層への訴求力はあるでしょうね。でも、すでに一般無党派層の関心は惹かないでしょう。
「(´・ω`・)エッ?日本て民主主義だよね( ^ω^)・・・それでいいんじゃないかな?」
でおしまいです。
正論でなくても、訴求力がある場合はどうするんですか。
何が日本人らしい、というのは人によって大きく異なります。
それが「小異」です。
「小異」を統一する必要性はないのです。
「小異」は残したまま、「大同」で連合すればいいのですよ。
それが現実なんですよ。
国益を守るのが政治家です。それが政治家の責任。
国益とは、皇室の保守と、経済力の維持です。
「民主意主義に於ける国益とは、付託者である国民の生命財産の保障と幸福権の追求権の保障です。皇室の方々も国民の笑顔を望まれています。」
( ^ω^)・・・だからね、だから、それが抽象的なんですよ。抽象的な話は、一割・二割の確信的右派にしか受けません。
リアリストとは?現実の国益というのは何か、という観点に立つことです。日本は貿易、特に加工貿易なくしては、やっていけないんです。
資源がないから。
そして、今は、最終製品よりは、資本財の輸出の方が圧倒的に多いんです。
「べき」論はいいんです。現実をみましょう。
(出典: lovejapan.asia)
"「工場や倉庫にある飲料水は、販売物というだけでなく、非常時には救援物資に変わるものという認識でいます。昔から、“非常時には即座に、飲料水、生活水として近隣へ配布するように”という意識が、全社員に浸透しているんです。今回の震災での対応は当然のことであって、ボランティアとは考えておりません」"
— NEWSポストセブン|伊藤園 震災後3日で被災地に60万本飲料水提供できた理由 (via otsune)
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災害学の父チャールズ・フリッツは災害時のコミュニティ内でのアイデンティティの充足について以下のように述べている。
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危険や喪失、欠乏を広く共有することで、生き抜いた者たちの間に親密な第一次的グル―プへの連帯感が生まれ、それが社会的孤立を乗り越えさせ、親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し、物理的また心理的な援助と安心感の大きな源となる
その結果、個人とグループの価値観、目的が合致し、被災地に「正常な状況のもとではめったに得られない帰属感と一体感を与え」る「災害ユートピア」と著者が言う相互扶助のコミュニティが一時的に登場する。
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— 「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」レベッカ・ソルニット著 | Kousyoublog (via raitu)
(mogemuraから)